2014/05/13

いつまでも途中のままで

「今回もダメだったか」
レンタルした『男はつらいよ』を見て、ため息がでた。

主人公の寅次郎が、旅先や旅から帰ってきてで会った女性に惚れる。その岡惚れに、妹や叔父叔母等、周囲の人は巻き込まえれて一騒動起こるが、結局フラれ、寅さんは新たな旅に出るというお決まりのプロットなのだけれど、どこかでうまくいくとことを期待してしまっている。そして、今回も寅さんはフラれた。

なぜ、こうもうまくいかないのか。十数作品観て、なんとなくわかったことがある。

まず寅さんは諦めが早い。意中の人をライバルの男性に奪われても「ちょっとまった!」的なことがない。そのまましょんぼりして、カバン片手に夜汽車で旅立ってしまうのである。

そして決定的と思われるのは、そもそも寅さんには覚悟が足りてないように見える。もし、その恋が実ったとしたら、その人とどうするのか。そこまでイメージ出来ておらず、ただただ「惚れて、尽くしている自分が好き」なだけに思えてしまうのだ。

こんなシーンがあった。
寅さんが、女性から「寅さんとなら結婚してもいい」と面と向かって告げられる。寅さんも気になっていた女性なのだが、彼は驚き腰が抜け座り込んでしまい「じょ……冗談言っちゃいけねぇよ……」と弱々しく答える。相手は真面目な表情で「冗談じゃないわ」と再びせまるが、寅さんはうつむいて黙ってしまう。少し間があり、彼女は「嘘よ。冗談よ。」と悲しげに愛想笑いを残して、そこを去っていく。

結局、彼は好きな人が喜ぶことを自分のためにやっているだけなのである。だから最後まで「寅さん」と慕われるけれど、いい人止まりで終わってしまう。というかどこかでそれを望んでおり、それ以上の関係へ発展すると困ってしまうのである。





そもそも「愛」とはサンスクリット語の「渇き」の日本語訳のことであるらしい。渇きを癒やすために水を求めるように、相手を渇望し、激しく欲望することを表している、と何かで読んだ。

惚れた人を渇望するがゆえ、相手を喜ばせるという手段をとるのが一般的と思われるけれど、寅さんは相手を渇望する振りをして、喜ばせることそのものが目的としていて、相手がその先の展開を求めてきても、ただたじろいでしまうだけになっている。彼が求めているのは自分のやりたいことが満たされること。彼の恋は常に自慰行為で、本心はいつも相手ではなくティッシュの中へ放たれる。

ゴールを目指しているようで目指さず、そのプロセスを楽しむ。山登りをして頂に到達しようとするその時に、俺にはまだ早いと引き返す。絶えず先送りされる年貢の納め時。寅さんは永遠の恋愛モラトリアムなのであり、いつまでも途中のままでいたいのである。