が3つ目の願いを言うシーン、
アラジン「ジーニーに自由を!」というのがありました。なるほど。「ヤなこった!」と言い拒否できることは、自由で
(ジーニーの腕輪が外れる)
ジーニー「自由だ。自由になった。早く、早く何かバカなことを願ってくれ。
ナイル川だ!ナイル川を消せって!」
アラジン「ナイル川を消せ……」
ジーニー「ヤなこった!」
(はしゃぎ、喜ぶジーニー)
ジーニー「よっしゃー気分最高!ついに自由になったー!」
あることの十分条件なのですね。
確かに、悪役ジェファーの願いもイヤイヤかなえていたので、ランプから出してくれた
ご主人様の命令は絶対だったようですし、気が進まなくても拒否が許されないという縛
りが主人とランプの精の間にはあったようです。自由になれば、嫌なことはやらなくて
すむ。
自由がないと、自分の時間や能力を、自由を縛る者の所有物になる。だからジーニー
が、ご主人に「ジーニーに自由を」と言わせる能力があるのに、そうしない(できな
い)のは、彼が自由ではないからと考えられることができます。
うむ。すると、自分のためにも能力を使える様になった彼は最強ですやん。
○
自由を望む者があれば、自ら捨て去る者もいる。自由を捨て去る人間が、ファシズムの
台頭を助けた。『自由からの逃走』で、エーリッヒ・フロムはこのように分析していま
した。
フロムが分析対象にした時代はインターネットはなかった。インターネットを手にした現代が、『自由からの逃走』を通すと、どのように分析されるのだろうか。そういうこと
やっている社会学者を探してみようと思う。
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