考えついた。
映画には予告編がある。
それは、その映画が数ヵ月後にやることを宣伝するため、
興味を持ってもらうため、観てもらうための
魅力的なシーンの断片から構成された2~3分間の映像である。
いわば、道具的な映像。
もし、その映像だけを集めた映画祭があったらどうだろう。
放映される映像は全て予告編。本編はなし。
それは、本編のための予告編ではなく、
予告編のための予告編としてある。 それだけで完結している。
あたかも、
全米を泣かせたような、
興行収入歴代1位のような、
アカデミー賞4部門受賞のような、
あの話題の恋愛小説の実写化のような、
ウソ予告編。
それはその映像の道具としての機能を無視したのではなく、
むしろ、その目的を最も果たしそうなウソの機能の発明。
機能しない機能の発明。
ただ飾られるために作られた茶碗のようなもの。
(ここでは「美」を機能と区別してます。「美」が機能かは、別の機会に考えられたらいいな。
そして「用の美」に関しては友人ともう少し話してから考えよう。)
実際には、そんな映画は撮られていないのに本編を期待してしまう。
そんな予告編に賞を贈る「予告編だけ映画祭」があったら面白いなと、
そう思いました。
あ、もう あったらどうしよう。。。
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