2012/07/29

ファッションとSNS


先日、人と話していたこと。

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SNSが発展したことに寄って自己表現の場所がひとつふえた。
そのためファッションの表現の場としての価値が
相対的に下がった。


ネット通販でも一定レベルで洗練された服を見て、
購入できるし、コーディネートも見ることができる。


ストリートスナップだって雑誌より、はるかに多い枚数を見られる。
だからファッション誌を買う必要性を どんどん感じなくなっている。

「試着ができない」というの心配もAR等の技術で
カバーできるようになってきていて、
むしろ試着できない分、自分のウエスト等のサイズを
覚えるようになっているのではないかとも思う。
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この話をしていて
ファッションって自己表現のひとつだったなー
ということに改めて気がついた。


どう見られるかを明確に意識して
服を選んでいる場合は多くはないかもしれないけれど、
何を選んでいないかで、
一定の表現の意識は働いていると思う。




その昔、有名な写真家が
「写真は写さない。写真は表現する。」的な
ことを言っていたと記憶していますが、
服も着ることで、何かしらの表現しているんだなと
気がついた次第でございます。



そして、SNSでのつぶやきや写真も、
自分がどう見られたいかの表現であって、
ニュートラルな日常の記録ではない。

2012/07/16

リア充の爆発について

「リア充爆発しろ」って、
あまりいいことではないと思っています。 


なんてったって、
爆発したリア充を片付けるのは、
残った非リアの僕らです。


渋谷、代官山、中目黒とかの
オシャレスポットは、
そりゃあ、すごい大変だと思います。


どうせなら、
残った僕らも 面倒じゃない方が
いいでしょう。


だから、
「リア充、フワッと急にいなくなれ」 くらいの方が
いいと思っています。
 片付けの手間は、ほぼ0です。


でも、実際、
「爆発」も
「急にフワッといなくなること」も
ない方がいいです。


仲のいい友だちに
リア充な人いるし。。。

2012/07/01

美と創造と破壊


毎日、創られては壊される芸術作品がある。

女性の顔である。



先日、友人が
 
化粧とは儚い芸術作品です。
どんなに上手く作りあげたとしても
自らの手で作品を壊さなきゃならない…

的なことを
つぶやいていました。

なるほど。


1人が1年で、どれくらいの化粧を使うかが
分かるという動画があります。

1日に使う量は、薄い濃い等、個人差はあるので、
人によって、もっと少なかったりもっと多かったりするでしょうが
こんなにですか的な感じはあります。

▼コレ