2013/08/24

夏の気づき





お盆を久しぶりに親戚と過ごした。


気がつけば、従兄弟の兄ちゃんには、長男が生まれ、
というか、結婚をしており、家の中が片付いていた。
独り暮らしで散らかっていたインスタント食品は
アンパンマンのグッズに代わり、台所は綺麗に整頓されていた。
一家団欒の空気があった。

親戚のおじちゃんは、
おじいちゃんになっていて、
孫のこときくと、見たことない顔で嬉しそうに話す。

山の上にあったお墓も、参る人の足腰のことを考え
山の下へと降ろされていた。

変わっていなかったのは、
サザエやトマト、桃などの海と陸の幸の美味しさだったり、
親戚のおばちゃんの止まらないおしゃべりだったり。
杖をつくようになっていたが、変わりなく元気だった。



今年は法要があった。
年をとったせいか、亡くなった人たちとの思い出話を聞いていて、
気づいたことがあった。


年に一回のお墓参り。

僕は、毎年々々、
会ったこともない先祖の人たちを供養する年中行事を
何となくなくの夏休みの一部として過ごしていた。

でも、その時、両親や親戚のおじちゃん、おばちゃんは、
昔、身近だった大切な人を想って、手を合わせる。

いろんな報告とか、話をしているのかもしれない。
もう、その人との新しい思い出はつくれないけど、
久しぶりにあった親戚のおっちゃんが何度も同じ昔の話をするように、
同じ話をしているかもしれない。

お盆は、僕の大切な人たちが、大切な人と会う、大切な時間だった。


そして、
僕は、まだ身近な大切な人を亡くしていない。
厳密には、多くの時間を共に過ごした大切な人たちを亡くしていない。
会おうと思えば、会いにいける。
思い出も、新しくつくれる。


自分は「まだ、そういう状況にある」という、
ありがたさやチャンスに
気づくことができた。



いい夏をすごした。

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