2013/10/14

親と子

その昔、美濃、今の岐阜県ですね、に
「こさじ」という若者がおりました。
これが、とっても親孝行な息子でして、
父が、お酒が好きでありましたから、
一所懸命働いては、毎晩欠かさずお酒を出してやっておりました。

ある時、こさじが長旅に出なればならなくなった。
留守の間、酒好きの父が困るだろうから、
どうか滝の水が酒になりますように、と念じたところ、
その心が神さまへ通じたのか、こさじが汲んだ水は酒になった。

これは、めったにない素晴らしいことだというので
年号が「養老」と改められた、という話を聞いたことがあります。


今は平成、僕も、こさじさん並みの孝行ができれば
いいのですが、貧乏暇なし、なかなかそうはいかない。

しかし、社会人になり自分で稼いで、
なんとか生活しているのは、
一つの孝行とも言えるのかもしれません。

というのも、親は子育てから解放され
時間とお金を自分のために使うようになった。
新しい趣味を見つけ、旅行にもよく出かけているようです。

話す時も「親として」のような変なかしこまりもなくなり、
仕事の事や、世の中の事などをしゃべるようになった。
大人と大人の会話になってきたなあと感じます。


だか、しかし

先日、親戚と両親とご飯を食べた時、
酔った父親が「この人(母)には、本当に感謝しているんですよ」と言う。
そんなこと、これまで一度も聞いたことがない。
このおっさん、父のことですが、は何を言っているんだと、
びっくりしていたら、

「初めて会ったのは何の時だ」
「第一印象はどうだった」

など、親戚もそんなことを根堀り葉掘り聞き始める。
父もそれに快く回答、そこに、まさかのノリノリで母参戦という、
中年が恋バナで盛り上がる謎の空間ができあがっておりました。

まあ、色々と親の知らない一面を知ることができて、
面白かったのですが「その結果が僕か」という
謎の恥ずかしい気持ちは、酔っても拭えず、
少し冷静に刺し身を食べたのであります。

父母の 馴れ初め話に 子がてれる

大人になっても、子にとって親は親だなと感じた次第

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