1)坂口安吾も工場に萌えていた
坂口安吾のコラム「日本文化私観」の「四 美に就いて」で所謂「工場萌え」に近いことを書いていました。
安吾さん曰く、小菅刑務所や、佃島のドライアイス工場、昔見た駆逐艦へ、
ある美しさを感じているとのこと。
これは法隆寺や平等院などの文化遺産へ感じられるものとは
異なっているらしい。
じゃあ、その美しさってなんなの、どこが違うの
っていうと、まるっと引用となりますが、
この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。
ってこと。
で、一方、
法隆寺だの平等院は、古代とか歴史というものを念頭に入れ、一応、何か納得しなければならぬような美しさである。直接心に突当り、はらわたに食込んでくるものではない。どこかしら物足りなさを補わなければ、納得することが出来ないのである。
っていう感じで違うんだよと言っています。
工場とか刑務所は、装っていないんですね。
安吾さんはこのとことを「素直」という言葉で表しています。
美しさのための美しさは空虚でしかなく、
本当に美しいものは、実質をもっていなければいけない。
そんじゃあ実質ってなんなの、っていうと、
今生きる私たちの 「生活」であったり「機能」のことのようです。
素直なものは、「直接心に突当り、はらわたに食込んでくるもの」(美しさ)がある。
一方、法隆寺や平等院の美しさは
「古代とか歴史というものを念頭に入れ、一応、何か納得しなければならぬような」
もの。
とも言っています。
確かに工場とか高速道路のジャンクションとか、
そういう工業的なものへ感じる魅力は、
歴史ある文化財や文化遺産から感じられるものとは異なっていると思っていたので、
そういうことなのかな、という納得感はありました。
しかし、法隆寺や平等院も、
ドライアイス工場や駆逐艦のように、それが作られた当初は
当時に必要な機能や生活が反映されたデザインがされていたのではないでしょうか。
現在とは違う過去の生活や習慣を知り、そういうものを眺めるのは
それはそれで面白いものがあると、僕は思っています。
今度工場見学へ行くため
ホットな情報だったので、
ここに記します。
2)feat.○○○○○
この前、再放送を観て知ったのですが、テレビ番組「方言彼女」という番組があります。
各地方の方言に注目してかわいかったり綺麗だったりする女性が
方言で話す番組です。
再放送の最終回しか観られなかった。
で、その挿入歌がよかった。
シャザムしたらコレだった。
▼HALCALI/芝生 feat.谷川俊太郎
フィーチャリングしている人がー!
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