①「本は買う瞬間がもっともモチベーションが高い」
これはオカダトシオさんの言葉。
確かにそのとおりで、まだ読んでない本はどんどんたまっていく。
ただ所有するため、購入するために変われる本だってあるかもしれない。
何かを買うことでストレスを解消する人もいると言われる時代、
本だって、その対象になりうるだろう。
そして本と同じ現象が起きているのが、テレビ番組。
録画して見られていない番組がどれほどあるだろうか。
「いつでも見ることができる」という言葉に甘えてはいないか。
僕は、がっつり甘えてしまっている。
すんません。見ます。
②写真について
写真で「寒さ」を表現しようとする。
そのために写すものは、
「うれしそうに歩いているペンギン」
「ポケットに手を入れて、肩をすくめて歩く人」
「雪の降る風景」
など色々考えられる。
しかしこれらの写真は、寒さ以外のものも表現している。
それは観る人によって異なるけれど、
ペンギンの写真からは、うれしさみたいなものが感じられるだろうし、
その一方で、歩く人の写真にはさみしさがただよっている。
雪の降る風景には、懐かしさがあるだろう。
伝えたいメッセージ以外のものも写真は伝える。
何かを伝える道具として写真を選ぶ時、
その写真から感じられること全体を見て、
選択する必要がある。
一枚の写真では起承転結を表現することは難しい。
だから「伝わること」と「伝わってしまうこと」に、映像よりも気を配る必要がある。
③『山登り』について
疲れながら登って元の場所に降りてくるという作業。
しかし、山登りに何の価値があるのか、と問う人はあまりいないだろう。
山登りで得をすること、それは景色、虫や花の観察、きれいな空気、
適度な運動、都会にない緑、そこでの弁当などなどの体験。
体験というだけあって、これらはネットや本から得られるものではない。
それらの体験がほぼ約束されているから、山登りはされるし、肯定される。
スノボも同じであろう(わざわざ降りるために登るという行為)。
リアルにあってネットにないもののひとつは、それかなと思った。
「百聞は一見に如かず」より「百聞は一体験に如かず」です。
今日、見るだけなら、ネットで十分。でも体験はまだ無理かなと感じる。
どれだけPCで山を見ても、
それは椅子に座って画面を見るという「ネット体験」の枠の中にある。
では、体験に価値を認める人がいなくなった場合は、どうだろう。
でも、これはまた、別の話。
2010/05/31
2010/05/28
ウソだらけのホントのイベントのモウソウ
考えついた。
映画には予告編がある。
それは、その映画が数ヵ月後にやることを宣伝するため、
興味を持ってもらうため、観てもらうための
魅力的なシーンの断片から構成された2~3分間の映像である。
いわば、道具的な映像。
もし、その映像だけを集めた映画祭があったらどうだろう。
放映される映像は全て予告編。本編はなし。
それは、本編のための予告編ではなく、
予告編のための予告編としてある。 それだけで完結している。
あたかも、
全米を泣かせたような、
興行収入歴代1位のような、
アカデミー賞4部門受賞のような、
あの話題の恋愛小説の実写化のような、
ウソ予告編。
それはその映像の道具としての機能を無視したのではなく、
むしろ、その目的を最も果たしそうなウソの機能の発明。
機能しない機能の発明。
ただ飾られるために作られた茶碗のようなもの。
(ここでは「美」を機能と区別してます。「美」が機能かは、別の機会に考えられたらいいな。
そして「用の美」に関しては友人ともう少し話してから考えよう。)
実際には、そんな映画は撮られていないのに本編を期待してしまう。
そんな予告編に賞を贈る「予告編だけ映画祭」があったら面白いなと、
そう思いました。
あ、もう あったらどうしよう。。。
映画には予告編がある。
それは、その映画が数ヵ月後にやることを宣伝するため、
興味を持ってもらうため、観てもらうための
魅力的なシーンの断片から構成された2~3分間の映像である。
いわば、道具的な映像。
もし、その映像だけを集めた映画祭があったらどうだろう。
放映される映像は全て予告編。本編はなし。
それは、本編のための予告編ではなく、
予告編のための予告編としてある。 それだけで完結している。
あたかも、
全米を泣かせたような、
興行収入歴代1位のような、
アカデミー賞4部門受賞のような、
あの話題の恋愛小説の実写化のような、
ウソ予告編。
それはその映像の道具としての機能を無視したのではなく、
むしろ、その目的を最も果たしそうなウソの機能の発明。
機能しない機能の発明。
ただ飾られるために作られた茶碗のようなもの。
(ここでは「美」を機能と区別してます。「美」が機能かは、別の機会に考えられたらいいな。
そして「用の美」に関しては友人ともう少し話してから考えよう。)
実際には、そんな映画は撮られていないのに本編を期待してしまう。
そんな予告編に賞を贈る「予告編だけ映画祭」があったら面白いなと、
そう思いました。
あ、もう あったらどうしよう。。。
2010/05/17
ふと感じた反省
僕の最近の癖、ツイッターで、面白い情報やニュースを見つけた時、ちょっと興奮して、すぐRTしてしようとする。
もう少し冷静になって、詳細を見て、RTした方が、自分のためにもなると思うんだ。
すぐRTしてしまうと、それだけで満足してしまうことだってある。
気をつけましょうね、僕。
もう少し冷静になって、詳細を見て、RTした方が、自分のためにもなると思うんだ。
すぐRTしてしまうと、それだけで満足してしまうことだってある。
気をつけましょうね、僕。
2010/05/13
書くこと
「書くことは自分の言葉で理解することにつながる」
最近の自分は、
理解も自分の言葉で、できるだけ平易な言葉で、理解できているか。
全くその分野を知らない人に、自分の言葉で説明できるか。
最近、そういう意識でもって本を読んでいないと感じる。
本を読んでも、自分の言葉で理解しなければ、身についたとは、僕は言いたくない。
最近の自分は、
理解も自分の言葉で、できるだけ平易な言葉で、理解できているか。
全くその分野を知らない人に、自分の言葉で説明できるか。
最近、そういう意識でもって本を読んでいないと感じる。
本を読んでも、自分の言葉で理解しなければ、身についたとは、僕は言いたくない。
2010/05/12
2010/05/06
言いたいヒトコト
「そうだ、京都、行こう」
「週末は、甲府にいます」
など、その人が見て、少し言いたくなる(思考として浮かんでくる)
のようなヒトコトがコピーになってることがある。
そんなことに、いまさら気づいたorz
「週末は、甲府にいます」
など、その人が見て、少し言いたくなる(思考として浮かんでくる)
のようなヒトコトがコピーになってることがある。
そんなことに、いまさら気づいたorz
2010/05/01
仕事とは
「時間を忘れてしまう」
仕事や勉強ではよくあることです。
そして、そんな仕事(勉強)にも2種類ある。
時が足るのを忘れてしまうくらい夢中になってしまう仕事(勉強)と
帰社する時間を考えられないくらい量も多く、終わりの見えない仕事(勉強)。
たいてい、前者は楽しいものであり、
後者はつまらないものである。
仕事や勉強ではよくあることです。
そして、そんな仕事(勉強)にも2種類ある。
時が足るのを忘れてしまうくらい夢中になってしまう仕事(勉強)と
帰社する時間を考えられないくらい量も多く、終わりの見えない仕事(勉強)。
たいてい、前者は楽しいものであり、
後者はつまらないものである。
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