パウル君、食べられないそうです。
でも、ドイツの敗戦を当てたからって「食べてしまえ」というのはおかしいと思う。
彼は予言ダコなのだから、予言しているだけ。
予言って何かを希望することではなくて、未来に起こることを見て、未来を言い当てる行為。
予言そのものは、未来に起こる予言されていることに何にも影響を与えないはず。
予言することで予言された内容が実現されるということはあってはならない。
この場合だと、
パウル君が予言するにせよしないにせよドイツは負けていたということにならなければいけない。
パウル君が予言したからドイツが負けたというのなら、
それはパウル君の予言が試合の勝敗に何らかの影響を与えているわけだから、
それは厳密には「予言」とはいえない。
だからパウル君が本当に予言をしたというのなら、
パウル君はスペインから感謝される理由はないし、ドイツから非難される必要もない。
褒められる理由も、食べられる理由も彼にはない。
まあ未来を見事当ててすごいと称賛される理由はあると思うけど。
もし、仮に憎いパウルをドイツ人が食べたとしても、僕には一つ疑問が残る。
食べるという行為は自分の栄養、エネルギーにするということ。
そして自分の体の一部にする行為だと思うんだけど、彼らはそれでいいのかな。
そんなに憎ければ、食べないと思うんだけれど。
でも、そこは「食べる」という行為にどのような意味を見出しているかによるから、
文化、時代、個人によるとは思うのですが。
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