2010/11/03

「死ねばいいのに」考

たまに聞きます。

他力本願な言葉です。

なぜ「殺す」ではないのか。

その人が目の前にいたら、殺そうとは思わないけれど、できれば死んだ方がいい、ということなのでしょうか。
「殺そう」というまでの憎しみは湧いてこないけれど、できれば死んでほしい、ということなのでしょうか。

では、
「死ねばよくならなくなること」があるのでしょうか。
つまり、その人の「死ねばいい」原因を取り除けることの可能性を、その人は考えているのでしょうか。

おそらくそのことは、考えられていなさそうです。
死ぬことは、その「原因の除去」の可能性がなくなることだから(と僕は考えます)。
「改善の余地はない」と考えているのでしょう。

例えば「食べ物残すやつ死ねばいいのに」という発言をした人は、
その食べ物を残している人が、説得や何かのセラピーに通うことによって、
食べ物を残さなくなることは今後一切ないと考えていることになると思うのです。

その改善の可能性をあきらめられるのはなぜなのでしょう?

2 件のコメント:

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  2. あ、「コスト」という軸で考えると、改善の可能性を否定しているとはいえないかも。

    で、「改善のために払うコストを考えると、死んだ方がいい」という点から、「死ねばいいのに」が出てくるのかも。

    そして「自ら殺す」ために払うコストより「その人が生きていて自分や社会が被るコスト」が高い場合に「死ねばいいのに」という発言が出てくる。

    でも、そのコスト計算はどのスパンで考えるかによるな。

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