2014/02/26

読書の裏口入学 あるいは読者の存在論

『読んでいない本について堂々を語る方法』を図書館で借りて読んだ。そして、
すぐアマゾンで購入した。それほどの本でした。アマゾンのマーケットプレイ
スでも、定価に近いそこそこの値段がしました。他の書評でも評価は高いので、
中古で出せば売れる本なのかもしれない。

で、思ったことがありまして、もしかしたらマーケットプレイスの値段は、本
の良し悪しを判断する指標になるかもしれないということです。発行されてい
る部数がただ少ないだけ(希少本)という可能性もありますが。





はじめに言ってしまいますと、この本のタイトルは釣りです。タイトルにある
ようなハウツー本ではございませんでした。

確かに1部で「読んでいない本」について堂々と語っているケース(「ぜんぜん
読んだことのない本」「人から聞いたことがある本 」等の場合)が述べられて
おり、2部では、その本を「誰に向かって語っているのか」が、いくつかのケー
スに分けて(「大勢の人の前で」「作家を前にして」等)述べられています。
これらのケースではどれも成功しているように見えます。

で、何で成功してんの?どうすればいいの?っていいますと、ざっくり言うと、

- その本の中身を自分の都合のいいカタチで記憶しているにすぎない。
- 人は、たいていは流し読み。タイトルや評判から中身を類推したり、通読し
 ていても覚えているのは一部分。
- だから自分の都合のいいように話せばおk。やばくなったらでっち上げをす
 るのもあり。でも基本は褒めろ。

ということのようです。





でも、この本の肝はここよりも、読むことと、その本について語る(批評する)
ことを述べた部分(主に「III 4 自分自身について語る」「結び」)にあると思っ
ています。少なくとも僕はこの部分に一番興奮しました。

著者が言わんとしていることはこうです。

- 批評の本当の対象は、本ではなく、読者である自分自身。
- 批評にとって、その対象となる作品は重要ではない。自分自身である。本は、批評のために偶然出会ったものにすぎない。
- 「○○について批評する」ということは、その本との出会いを通して自らを語る創造的な行為である。

ということ。

そもそも批評するということは、その対象の本の内容が正確に理解されていて、
その上でその内容についてコメントされていると認識されているけれど、著者
はその批評観を否定しています。批評とは創作なのですね。

なるほど、読んでいなくても、本については堂々と語れます(これは本書でい
くつか例証されている)。しかも、把握している内容は「読者が本の内容とし
て把握しているもの」に過ぎないので、それについて語ることは創造的になら
ざるをえないということのようです。


ざっくり言うとこんなかんじです。もしかしたら間違ってるかもしれない。こ
れは買ったので再読しようと思う。

詳細は本で!


「本が、自身について語るための触媒なんだよ」という主張は、ショーペンハ
ウアーの「本読んでもそれは、誰かにかわりに考えてもらってるだけで、その
内容を血肉にして自ら思索するようにならなきゃ意味ないよ」っていうのと近
い。読書に慣れてきた大学2年生の自分に読ませたい本でした。





ロラン・バルトの「作者の死」に近い話だと思うし、ネルソン・グッドマンの
『世界制作の方法』とも関連をもってくる話かなという印象がある。大学時代
にテーマにしてたことに結構近かった。あと、最近のゴーストライター騒動は
バルトの「作者の死」で色々言えるんじゃないかと思っているのでもっかい読
もうかなと思う。

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