2009/11/13

メモ:概念と(感情的)判断の改変について

概念の構造は、どういう在り方をしているのだろう。

概念と世界は密着していて、概念構造=客観的世界の構造としてある。

だから概念分析によって、僕らは概念構造を発見しているのか。

それとも、概念は人間の側にあって概念の構造は客観的に決まっておらず、

むしろ人工的なものであり、人によって改変することができるのか。

概念は、何種類かに分けることができるから、概念がなす構造の全てがどちらかにだけ属するというわけではなさそう。

あるものは客観(世界)の側に在るものとして、あるものは人間の側に在るものというように分けられると思う。

そして、その区別によって、哲学の問題などで、「誤っている」とされるものが変わってくる。

人間の判断をより基礎的にみて、「概念の構造が誤っている。私たちの日常的な判断と適合しない」から、構造の方を改変するのか。

概念の構造の方を基礎的に見て、固定し、「僕らの思考や判断(特に感情的な判断)が誤っていた。だからこれからは、概念の構造に合わせて、こう判断せねばならない」とするのか。

誤っていて、改変しなければいけない概念構造は、その概念がどのような種類のものかによると言われそうだけれど、

本当は僕は「どちらを変えるかは、概念の種類というよりも改変する主体の自由であり、どちらでもよい。『この概念は~だから、こっちを変えなければならない』ということは客観的に決まってはいない。どちらでも上手くいく。あとは主体次第である」と思っている。

今日、「人格と記憶」の話をしていて思ったこと。

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