2014/01/18

フランスがオシャレなことと、言葉づかいについて

フランスのフェミニズム関係の論文の序論に

神は先に男をつくり、その後、女をつくった。
大抵の場合、先につくられたものは試作品である。

という文章があったと、大学時代に友人から教えてもらった。大学のカフェで、
至らない部分を挙げながら、確かに試作品だと納得し合ったのを覚えている。

だが、果たして後に作られたものは完成品なのかというと、その保証はなく、
それは試作品2号で、完成品は、まだ生まれていない可能性だってある。
しかし、大抵の場合、試作品は前の試作品よりは良くできている。

あと、この序論は高校生が書いたという。
こんなエスプリの効いた文章の書けるなんて、オシャレな高校生やな。
と、すこぶる感心したのを覚えている。





そんなこんなで、試作品仲間の友人と年末に会った。
すると、またフランスについて教えられた。

「I love you」という意味のフランス語「Je t'aime」を言われた時の答えで
「Thank you」に当たる「Merci」なら「こっちもその気あるよ」という意味になる。
しかし「Thank you very much」の「Merci Beaucoup」で答えると、
断りの返事になる。

らしい。

微妙な違いで、逆の意味になっている。言葉そのものの意味より、丁寧さという
伝え方の違いで答えの内容が変わるってことに、
やっぱフランス、オシャレやな、と思いつつ、
この感覚は国が違っても何となく分かるな、とも思った。





丁寧な言葉づかいをする時、それが普段使う言葉ではないぶん、少しだけその言
い方を気にかけている。かく言うべきという何らかのルールに則って話し、
自分を装っている。

一方、普段使っている言葉は、どう言うかということをそこまで意識していな
い。言い方より伝える内容に意識がいっている気がする。
どちらかというと、より自分をさらけ出している状態とも言える。

丁寧な言い方とは互いの距離の遠さを表している。丁寧という型から、少しずつ
離れた付き合いができることが、その人との距離が縮まっているということかも
しれない。

ことばは思考の衣装ではない。思考の肉体そのものである。

とは、中村雄二郎。
よく言ったものである。






親しくなるとは言葉にかぎらず、あらゆる型(かくあるべしというルール)から
離れた付き合いができるということなのかな。
ルール違反をすることを許し合う関係になるということか。
まあ、親しき仲にも礼儀あり、ではあると思うけれど。

その人の言葉遣いを変えること、積極的にルール違反をすることで、その人との
関係を少しずつ変えていけるのではないか。
まあ、親しき仲にも礼儀あり、ではあると思うけれど。

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