神は先に男をつくり、その後、女をつくった。
大抵の場合、先につくられたものは試作品である。
という文章があったと、大学時代に友人から教えてもらった。大学のカフェで、
至らない部分を挙げながら、確かに試作品だと納得し合ったのを覚えている。
だが、果たして後に作られたものは完成品なのかというと、その保証はなく、
それは試作品2号で、完成品は、まだ生まれていない可能性だってある。
しかし、大抵の場合、試作品は前の試作品よりは良くできている。
あと、この序論は高校生が書いたという。
こんなエスプリの効いた文章の書けるなんて、オシャレな高校生やな。
と、すこぶる感心したのを覚えている。
■
そんなこんなで、試作品仲間の友人と年末に会った。
すると、またフランスについて教えられた。
「I love you」という意味のフランス語「Je t'aime」を言われた時の答えで
「Thank you」に当たる「Merci」なら「こっちもその気あるよ」という意味になる。
しかし「Thank you very much」の「Merci Beaucoup」で答えると、
断りの返事になる。
らしい。
微妙な違いで、逆の意味になっている。言葉そのものの意味より、丁寧さという
伝え方の違いで答えの内容が変わるってことに、
やっぱフランス、オシャレやな、と思いつつ、
この感覚は国が違っても何となく分かるな、とも思った。
■
丁寧な言葉づかいをする時、それが普段使う言葉ではないぶん、少しだけその言
い方を気にかけている。かく言うべきという何らかのルールに則って話し、
自分を装っている。
一方、普段使っている言葉は、どう言うかということをそこまで意識していな
い。言い方より伝える内容に意識がいっている気がする。
どちらかというと、より自分をさらけ出している状態とも言える。
丁寧な言い方とは互いの距離の遠さを表している。丁寧という型から、少しずつ
離れた付き合いができることが、その人との距離が縮まっているということかも
しれない。
ことばは思考の衣装ではない。思考の肉体そのものである。
とは、中村雄二郎。
よく言ったものである。
■
親しくなるとは言葉にかぎらず、あらゆる型(かくあるべしというルール)から
離れた付き合いができるということなのかな。
ルール違反をすることを許し合う関係になるということか。
まあ、親しき仲にも礼儀あり、ではあると思うけれど。
その人の言葉遣いを変えること、積極的にルール違反をすることで、その人との
関係を少しずつ変えていけるのではないか。
まあ、親しき仲にも礼儀あり、ではあると思うけれど。
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