2014/01/31

「生き様」の意外な由来

生きていくありさまを意味する「生き様」という言葉がある。実はこの言葉、「死
に様」の派生語らしい。昔の人は「死に様」をまず世界の出来事として切り取っ
た。その後、対義語として「生き様」が生まれたということ。

「花は桜木 人は武士」ともいうように、散るときのいさぎ良さや儚さにある種の
美しさを感じてきた国の人らしいっちゃらしい。

それで思い出したのが、時代小説や漫画を読んでいると出てくる「辞世の句」。
これは、人生の終わりに詠まれるこの世との別れの歌のことで、吉田松陰や高杉
晋作のものが有名だったりする。予め考えられていたものも多いようで凝ったも
のが多いのだけれど、
親も無し妻無し子無し版木無し
金も無けれど死にたくも無し
という面白いものもある。これは林子平のもの。さすが寛政の三奇人の一人。



2014/01/29

最近聴いている曲


このremixを聴いて、原曲が気になったの調べた。

元曲はラブリーサマーちゃんという人の
「あなたは煙草 私はシャボン玉」と言う曲だった。





2014/01/26

3才くらい年下へ感じる「若いな」という感覚について

これ、25才26才の時に22才23才へ思う「若いな」は、同じ世代の年上の先輩として
上から目線で思う感覚。大学4年生が1年、2年生へ先輩づらしているときのやつです。

一方で28才の時に25才へ思う「若いな」は、「もうこの頃には戻れないんだな。この若
さは手に入らないんだな」という嫉妬とか、羨望、そして少しの後悔が含まれた哀愁混
じりの感覚だと思う。

「若い」と言われなくなる年が、そろそろ近づいてきて、これをすごい感じている。
たぶん、結婚したり人の親になった時に、独身の人が色々エンジョイしてるとこ
やSNSへのポストを観ると、これと似た感覚に陥るんだろうなと思う。





あと、これ、逸材。

2014/01/18

フランスがオシャレなことと、言葉づかいについて

フランスのフェミニズム関係の論文の序論に

神は先に男をつくり、その後、女をつくった。
大抵の場合、先につくられたものは試作品である。

という文章があったと、大学時代に友人から教えてもらった。大学のカフェで、
至らない部分を挙げながら、確かに試作品だと納得し合ったのを覚えている。

だが、果たして後に作られたものは完成品なのかというと、その保証はなく、
それは試作品2号で、完成品は、まだ生まれていない可能性だってある。
しかし、大抵の場合、試作品は前の試作品よりは良くできている。

あと、この序論は高校生が書いたという。
こんなエスプリの効いた文章の書けるなんて、オシャレな高校生やな。
と、すこぶる感心したのを覚えている。





そんなこんなで、試作品仲間の友人と年末に会った。
すると、またフランスについて教えられた。

「I love you」という意味のフランス語「Je t'aime」を言われた時の答えで
「Thank you」に当たる「Merci」なら「こっちもその気あるよ」という意味になる。
しかし「Thank you very much」の「Merci Beaucoup」で答えると、
断りの返事になる。

らしい。

微妙な違いで、逆の意味になっている。言葉そのものの意味より、丁寧さという
伝え方の違いで答えの内容が変わるってことに、
やっぱフランス、オシャレやな、と思いつつ、
この感覚は国が違っても何となく分かるな、とも思った。





丁寧な言葉づかいをする時、それが普段使う言葉ではないぶん、少しだけその言
い方を気にかけている。かく言うべきという何らかのルールに則って話し、
自分を装っている。

一方、普段使っている言葉は、どう言うかということをそこまで意識していな
い。言い方より伝える内容に意識がいっている気がする。
どちらかというと、より自分をさらけ出している状態とも言える。

丁寧な言い方とは互いの距離の遠さを表している。丁寧という型から、少しずつ
離れた付き合いができることが、その人との距離が縮まっているということかも
しれない。

ことばは思考の衣装ではない。思考の肉体そのものである。

とは、中村雄二郎。
よく言ったものである。






親しくなるとは言葉にかぎらず、あらゆる型(かくあるべしというルール)から
離れた付き合いができるということなのかな。
ルール違反をすることを許し合う関係になるということか。
まあ、親しき仲にも礼儀あり、ではあると思うけれど。

その人の言葉遣いを変えること、積極的にルール違反をすることで、その人との
関係を少しずつ変えていけるのではないか。
まあ、親しき仲にも礼儀あり、ではあると思うけれど。

2014/01/06

2014年という年

サザエさんは24才。アナゴさんは27才。
世紀末を救う北斗の拳のケンシロウは18才。
マリオの25才。これは特に信じられん。

指先一つで敵を破裂させたり、お料理片手にお洗濯したり、
お花をつんだら火の玉を放てる様になったりと、
テレビの中で手の届かないお兄さんやお姉さんと思ってても、
気付いたら年下だった、または年下になっていて凹むことは、よくある。
彼らは簡単には年をとらない。でも、僕らは年に一回、ちゃんと年をとる。


今年の元日、映画版のモテキが放送されていた。
昔、誰かが言った
モテキの映画の半分は、
森山未來さんの演技の幅の広さを魅せる映像で、
もう半分は長澤まさみさんのPVである。
もしくは「みゆきちゃん」という夢を見せている。
を再確認した。
そして、もうすぐ原作版の主人公と同い年になるということに気付いた。
モテ期が厄年のように年齢で来たならば、今年、4人位の異性からモテて、
そして来年、みゆきちゃんから突然twitterへリプライが来る。
そんな世界になったらいいな、と思った。


話がそれた。


自分は早生まれなので、2014年にようやく周りの同学年と同じ年齢になる。
しかし、2014年は僕らの学年にとって30才になる年。
結構な節目な年である。
今それを考えて、変な焦りが、ぶわーっと来てます。
早生まれで、2015年に「30だわー」とか考えている場合ではない。
ぼんやり考えていたことを365日巻きでやっていかなければ、
と、2014年固く決意いたしました。

あと映画版モテキは、最後ハッピーエンドっぽく終わるけれど
幸世さんとみゆきちゃんが、ぬかるみにハマって、そこで終わるのは、
今後の幸世さん、みゆきちゃん、オーガナイザーの人の三角関係の今後を
暗示しているのかという気がしないでもない。



▼最近見つけたバンド

Hermann H.&The Pacemakersを聴いた時を思い出す。

【 踊ってばかりの国『東京』PV 】