2009/10/31

塩と砂糖。

①塩と砂糖。

よく間違える。

と、友人が言っていた。

あるある。

人間の目は味覚を持たないから。

そこで、区別するためにフタに印を書こうとしたとき、

あなたなら何と書くだろうか。

多くが場合がその名前だと思う。

僕も、そう考える。

でも、「甘い」「しょっぱい」

「プリンに使う」、「おにぎりに使う」

「塩と間違えやすい」「砂糖と間違えやすい」

       ・
       ・
       ・
       等々、

区別するための言葉はたくさんある。

ものを見る角度は、分度器の目盛では足らない。

僕らがいつも話す言葉は、そのことを教えてくれている 。

もし、この教訓を忘れて、僕が塩と砂糖を再び区別しなければならなくなった時、

少し長くなってもいい、

そのフタに名前以外の文字を書く遊び心と想像力を

持ちたいと思う。


あとがき
フタの区別は、中身の区別とは違う。

この二つの区別は、一見同じものを区別しているように見えるけど、

異なった対象を区別していることなんだ。きっと。僕らが概念的につなげているだけ。

2009/10/30

麻雀

①麻雀

人生が麻雀だとしたら、

死ぬことが「あがり」だろう。

例え安い役でも「平和」なら

文字からして、

その人は幸せだったんじゃないか

とも解釈できそうだ。

2009/10/28

衝動買い。

①衝動買い

一目惚れが、衝動買いだとしたら、

結婚はローンだ。

愛の払い方が違う。

悲惨なのは、衝動的に購入を決めて、ローンにした後、

購入したものに飽きつつ、愛を払いつづけること。


②クリスマスケーキ

昔、女性はクリスマスケーキに例えられた。

25日を過ぎると、売れなくなるクリスマスケーキの様に

女性も25を過ぎると売れなくなるかららしい。

それが、今日どれほどの真実味を持っているか分からないけれど、

言い方と文字を変えれば、全く逆の意味を持たせることができる。

「25をすぎても、熟れない女」

この女性は絶対売れる。

しかし、こうなるともうケーキでは例えられない。

25を過ぎても、熟れないケーキは保存料がたんまり入っているか、

塩ビでできた偽物だろう。

ある箴言。

①ある箴言。
 理性の恋はまことの恋より、才気の点ではすぐれているが、

 夢中になるのはひとときにすぎない。

 自分を知りすぎ、たえず自分を批判し、

 考えをかき乱すどころか、

 考えに考えたすえに出来上がった恋だからである。

「理性の恋」を、「まことの恋」と区別しているところがポイントですね。


②おいしい生活

「おいしい生活」

紙面でこのコピーが名作として、一番好きなコピーとして挙げられているのをよく見る。

でも、このコピーはボディコピー(広告上でキャッチフレーズの後に続く、少し長めの文章)と共に紹介されなければ、

その褒められている部分は読者に伝わらないと思う。

だから、ボディコピーをのせずに、「おいしい生活」はすごいという本は読者を騙している。

それは、ブリの入っていない大根の煮物をブリ大根です、と言って出すようなものだ。

あれはヘッドコピーとボディコピーがあって、素晴らしい広告表現だった。


あと、児島令子さんの書いたあまりにも有名な広告の文章で、何度読んでも感動するものがある。

「児島令子 日本ペットフード㈱」

かぎ括弧内をgoogle先生の検索窓にコピペして、ラッキーを感じたなら、必ず出会うでしょう。


③ハヤシライス
カレーやハヤシライスなど、何日か続けて食べられる料理を作ると、

安心した気分になる。

しばらく、献立考えなくてよいし、御飯だけ炊いときゃOK!!

となるからだと思う。

僕は面倒くさがり屋なのです。

2009/10/27

煙草の煙。

①煙草の煙。
講義の前の休み時間、僕の机の斜め前に美人が座っていた。

彼女は席を立ち、外へ出て行った。

そして講義が始まる寸前に帰ってきた。

その子が僕の前を通ると、少し煙草の匂いがした。

こんな副流煙なら、どんだけでも吸える。


②風船ガム
今日、ガムで風船を作る人は少ない。

たぶんガムがちっちゃくなったのと、

膨らました時、ガムに汚い空気がくっついてしまうため

遠慮されるようになったのが一因としてあるんじゃないかな。

③今、ホットな話題。
「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」

このコピーは、少し大げさに言って、脅かし、その狙いを満たそうとしている。

一方、

「覚せい剤やまますか?それとも芸能人やめますか?」という言葉があったなら、

これは大げさでも何でもなく、その言葉のままリアルな世界を言い当てている。

2009/10/26

本棚。

もし、あなたが本棚を持っているなら、

本を買うことは、

その本棚をデザインすることにならないだろうか。

もし、あなたが木や花を植え、

庭に彩りを添えたとしたら、

あなたは庭をデザインしたことになるが、

もう一つ、リビングから見る 風景を

デザインしたことにはならないだろうか。

2009/10/23

歩。

①将棋の歩。

「トキンは金なり」

歩は一歩づつしか進めません。

しかも進んだら、もう戻れない。失敗してもやり直しはきかないのです。

ですから、その一歩は他の駒よりも重く、遅い。

歩は時に簡単に捨てられます。

それは戦略上の必要な手であったり、他の駒を守るための犠牲でもあります。

一枚無くなっても、あと八枚あるという理由で、相手からも調達が容易という理由から、

そんな扱いを受けるのでしょう。

歩は、今を懸命に過ごしても、事がうまく運ばない人から共感を持たれているのではないでしょうか。

始めは、飛車、角、金、銀になると意気込んで社会という碁盤の目に出た人たち。

あきらめず慎重に前へ進んでいけば、金になれる歩への共感は少しくらいあると思います。

何て言ったって、僕がその一人ですから。

だから、今日、途中から勝負をあまり気にせず、愛着の湧いた一枚の歩を「と金」にしました。

王将ですか?

そんなもの、相手にくれてやりましたよ。

彼には共感できませんから。

2009/10/22

やっぱり、僕は片付けができない。

①定言命法で片付けできない。
先日、ウチにWiiが来た。


バイト先で借りてきたのだけれども、部屋の中に設置する所がない。

部屋が汚すぎる。

そこで片付けを始めた僕は、かなり久しぶりに片づけをしていることに気付いた。

これまでも何か必要に迫られなければ、片付けをしなかった。

友人が来るからとか、………、てかそれしかない。

僕は「きれいなお部屋」というものに無関心。

「格率が普遍的法則となることを、汝が同時に意欲しうるようなそういう格率に従ってのみ行為せよ」

とカントは言ったけれど、

僕には「部屋をきれいに維持する」ということを格率として持つことができない。

そのかわり「Wiiを置いて、コントローラーをブンブン振り回してプレーしたければ、部屋をきれいにせ

よ」という仮言命題は、諸手を挙げて受け入れている。

いい加減な人間ですね。


②子供心とは

知らぬ街、十字路で、ワクワクしちゃう 好奇心。



③無駄を省く

『史記』に「年老口無歯」という表記がある。

「年老いて口に歯無し」ということを意味しようと書かれたものらしい。

後代のある研究家は、これを「老無歯」と書き換えてシンプルにした方が良いといったらしい。

確かに、老いるのは年であるし、歯の生えている所は口なのは分かり切ったこと。

無駄に言葉を足して冗長に語る必要はない。

昔なら墨と余白の無駄。

今日なら、インク、もしくはタイプのための時間とエネルギーの無駄。そして余白、もしくは示電力の無
駄。

こういう教訓になる話というのは、他人にしゃべりたくなるオチのある話より、よく覚えられる。

2009/10/05

レギンス

①美人な人がレギンスを履いていたんだけれど、

右足の方だけ、少し上がっていた。

長さが左右非対称になっていた訳です。

美人なお姉さんだっただけに、ちょっと残念だった。


②学校の勉強部屋は4階にあります。でも男子トイレは奇数階にしかありません。

トイレに行く時は、なぜか三階に行ってしまう。

なぜか五階ではない。なんでだろう。

五階も三階も、上り、下がる回数は同じなのに。

4階まで登るとき3階を通ってくるからかな。

五階より三階に、親しみや共感に近いものを感じているからだと思う。